



园山晴巳 Harumi Sonoyama
2024
对我来说那是令人惊艳的早晨。
私にとって衝撃的な朝だった。
醒来后,坐在沙发上一如往常地眼神向下望去。刚开始不知道看到了什么,只觉得映入眼帘的风景有着异乎寻常的美丽和若有似无的神圣气息。虽只是从窗帘的缝隙中透出来的光。眨眼即逝的刹那间,我感到祂似乎在说,这里有些东西是你该画出来的哟!光线映射在白色的窗帘上,透过那微小差异的变化,自己一直以来被它光怪陆离的面相给迷惑住,而忽略了它的本质。那是一个我被艺术之神当头棒喝的早晨。
目を覚まし、ソファーから何気なく下を見た。最初は何が見えたのか分からなかったがとても美しく、神々しいものがそこにあった。カーテンの僅かな隙間から這い出た光だった。ここに、お前が描くべきものがあるよ、でも直ぐに消えて行くよ、と言っているようだった。 わずかな差異の違いを見せる白い布に振り回されて、ときに本質を忘れてしまう自分を、芸術の神が私を叱咤するような朝だった。
这一切也成为了光系列的滥觞。
このシリーズはこの日から始まった。
时移接近正午,光线越趋强烈,被光线照射的地方像是失去颜色般地呈现发出白色的光点。不可思议的是,如同白色要在这世间消失前的最后一舞一般,在白色光源的周遭留下零零碎碎的三原色后,照耀着周围的存在,像是功行圆满似的逐渐消散在我的眼前。
昼に近づくにつれて、光は益々強くなり、光が当たった所は色を失って白光して行く。不思議な事に、その白との境界はこの世の最後のダンスのように、三原色のいずれかの色を残した後、周りの 存在を照らし、役割を果たして消えて行く様に感じた。
祂照亮了所有的色彩和物质的存在,讴歌着现世万物、欢娱地舞蹈着。所有的存在因为祂而显露,所有的一切都变得美丽幸福和恍惚迷人。
全ての色や物質の存在が照らされて、現世を謳歌し、騒がしく踊り回る。全ての存在が顕になり、全てが美しく幸福で恍惚となる。
直到光消失为止。
光が消えるまでは…..
2024
光线映照在地板像雷电一样,刻画出一条细长抽象风格的线。光和暗势均力敌地相互较劲。当黑色失去自我性格,逐渐变得像铅一样深不可测。这幅作品我脑中想的不是白色,而是想着这个黑色到底能表现到什么程度而作。
光が床に雷のように、ただの細い抽象的な線を描く。光も黒も拮抗してるいる。黒が性格を失い、鉛の様に重く深くなる。白ではなく、どこまでこの黒を表せるだろかと、思いながら制作した。
园山晴巳 Harumi Sonoyama
2024
不知为何,有时我的眼睛会像棱镜一样启动分色机制,颜色会自动跳脱而出。眼中所见像是上了青色的滤镜,这是人眼看得见的状态吗?但却在冲洗的照片上忠实地呈现,所有的东西矇朦胧胧的像在摇晃,好像被彩霞垄罩着…。
どういう訳か、ある時、プリズムの様に色が跳ね、一部青に染まるように見える。人間の目に見えているだろうか…。写真には写っている。物の存在が揺らいでいるような、霞んでいるような….。
回想起年轻时流行"念写"(就是运用念力在照片胶卷上拍下东西或影像的相片)的事情。喜爱玄学、都市传说的朋友都乐此不疲。记得当时也在摄影的我,被逼着将什么也没拍到的底片拿来曝光显影后,对着朋友说:「是不是因为你念力太弱,所以什么光也没显现出来?」。类似的胡说八道,当时也是随性脱口而出。
若い頃、念写(写真フィルムに念ずると何かが写る)が流行っていたのを思い出した。多分にオカルトめいた話だが友人が其れにハマり、その頃、写真をやっていた私は、何も写っていないフィルムを現像させられた。私は友人に”君の念が弱いから、光になっていないんじゃない?だから何も写っていない。”とデマカセを言ったことを思い出す。
至于胶卷呢?已从这世上消逝,现在也无法进行确认,那么思念的光现在会出现在何处呢?
フィルムがこの世から無くなり、今では確かめようがないが、では想念の光は何処で現れてくれるだろうか。

园山晴巳 Harumi Sonoyama
2024
如果光有分成反射光和投射的光,那么,反射就表示有映射物体的存在,那么投射就表示光本身。射向空间的光线,像用锋利无匹的日本刀切开黑暗或物体一样的一刀两断,丝毫不拖泥带水。那是最直白强烈的光。终于,才发觉我正面面向那名为光的存在!
反映する光と投射する光があるとすれば、反映は映し出す物の存在を表す。さすれば投射は光そのものを表すだろう。空間に出た光は、垂直に闇や物を鋭く日本刀で斬り落としたようなシャープで、余計な想念を与えない。 最も白く強い光。ようやく、光そのものに向き合っている気がする。
园山晴巳 feat. 陈弈玲
Harumi Sonoyama feat. Chen Yiling
2024














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